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51話 望まぬ再会

last update Dernière mise à jour: 2025-06-20 14:30:47

 身体の芯まで凍りついたような寒さに、シュネははっと意識を取り戻した。途端に感じるのは埃の臭い。

 寝台の上に寝かされていた事に気づき、シュネはゆったりと身を起こした。

 吐く息は真っ白だった。自らの身体を抱き締めるように身体を摩り、目の前を見て、シュネは絶句する。

(…………ここは)

 自分を閉じ込める部屋の前には鉄格子──立ち上がり、周囲を見ればどこまでも続く長い廊下が広がっていた。一定の間隔で、火を入れた壁掛けの燭台が設置されているが、灰色の石造りの空間には窓が無いので、余計に寒々しかった。

 恐らく地下監獄。そして、この光景は既視感がある。〝忘れもしない心的外傷〟が自然と結び付き、シュネの顔は一瞬にして真っ青になった。

 ……過去に後ろめたい事をした覚えはあった。けれど、なぜ今こうなったのだろう。どうして私は、こんな場所に〝連れ戻された〟のだろう。

 寒さか恐れか。震えるシュネの唇からはカチカチと歯の鳴る音が絶え間無く響く。

 今朝はいつも通りにレルヒェの街に降りた。買い物を終え、痛みの森へ戻ろうとしたその時──人気の無い路地で、複数の男に背後から羽交い締めにされた。

 暴漢など、自分の力で一掃できる自身はあった。だが、ほんの一瞬だった。ぴりっとした痛みを感じた途端に自由を奪われ、口に布を当てられた瞬間に意識を失い──今に至る。

 だが、この場所は……。シュネの脳裏には凄惨な記憶の数々が散る。

 シュネが痛みの森に住んでいるのは、もう帰る場所も行く宛ても無いから。そして、〝ある人物〟から逃げ出した為であった。

 農作が盛んな国境に面した辺境地とは言え、ヴィーゼ伯爵領は決して寂れた田舎ではない。レルヒェ地方の中では、人口も多く賑わいもある。だからこそ、隠居の身は街中でも自然と溶け込む事ができたのだ。

(どうして……私、なんで。そんな……どうしよう)

 とにかく、逃げなくてはならない。何を
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